ご紹介第5弾。8日出演「芳野未央」

チケット発売中!
青山曼荼羅店頭またはWebsiteにて。

今日は芳野未央さんのご紹介。

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芳野さんを初めて知ったのは私がバリ島のインドネシア国立芸術大学に留学する前、
芳野さん主催のナタラジャ・バリ公演だったような気がします。
バリ島の踊りの鮮やかさ、また日本にこんなに真剣にバリ舞踊に取り組む人たちがいて自主公演をされているのに驚きました。
その後、芳野さんのお写真や自主公演のフライヤーをみて感じていたのは、林田さんと同じく「色」。

深く鮮やかな色-

私、小泉は芳野さんとご一緒した公演はとても少なく、ご自身がどんな踊りを踊ってこられたのか、どんな踊りがお好きなのか一度うかがってみたいなぁと思っていました。

深く鮮やかな色-

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芳野さんがバリ舞踊をはじめられたのは1988年。
私がバリ島に初めて行ったのは1997くらい、
私の知らないバリ島の香り、、、

今回、芳野さんは絵も描かれることをしり、なんだか納得~。
いくつかの候補の中から決定した演目は「マルガパティ(森の王者の舞)」
大好きでよく踊られるそうです!
芳野さんが踊るマルガパティ。。。
深く鮮やかな色はどんなかおりでしょう、、
とても楽しみです✨✨✨

以下、芳野さんのプロフィールとご本人より演目の解説です。



プロフィール
1988年15才から東京でバリ舞踊を学び始め、プリアタン村などバリ島各地の舞踊家に師事する。東京農業大学卒業後、STSIデンパサール(現ISI)にインドネシア国費留学生として留学。
現在は、ナタラジャ・バリ主宰。


演目解説
マルガパティは、1942年にニョマン・カレールが作曲した。
主題は「森の王」の踊りと言われている。
バリの先生たちに聞くと、この答えは共通している。
しかし「森の王とは何か?」となると答えは曖昧になり、獅子、虎、大蛇などと言われる。
具体的に獅子を模した踊りなのではなく、比喩として踊りのこの部分は獅子のようなイメージ、ということであって、踊りの中に獅子のような部分もあれば、大蛇のような部分もあり、一個の動物の模写として「~~の踊り」とは言えない。
だから、動きは全て抽象的な動きだ。形態模写的な具象的な動きはない。

抽象的な動きであるため、そこに多様な表現を乗せることが可能だ。
シリアスに恐ろしいものにもなれるし、陽気に楽しいものにもなれる。
ほぼバリスに近い男性舞踊の基礎で踊ることもできるし、女性的な柔らかい基礎で踊ることもできる。

20年来この踊りを踊っているが、飽きない。
バリダンスを始めたのは東京で、教室ではなく練習会形式で運営されていたスカルムラティというグループだった。マルガパティはここの先輩たちに教わったのだが、先輩たちはワワンさんというシガラジャ出身の先生に教わったという。なかなか独特の振り付けなのだが、当時はそんなことも分からずこういうものなのだと思っていた。デンパサールスタイルのスタンダードなマルガパティよりも、足数が多く、動き回る。
男踊りで最初にやった踊りであることもあり、この8分の踊りが大好きだ。
いつもワクワクしながら踊ってきたし、毎回やりきったと思えるように踊るが、必ず改善点はあるし、次にやってみたい表現やテクニックも出てくる。

今回の企画で、どんなモノになるのかは、まだ決めていない。


ところで、今回の解説を書くにあたり、ネットで検索してみたら、共通して「森の王」の踊りであると書かれており、制作年制作者は正しい記述だった。
しかし、意外にも、Margapatiという言葉の意味にかなりの混乱があったので、バリ人の芸能関係の知人にメールで確認したところ、彼らも言葉の意味をはっきり知らないと分かって驚いた。
こんなポピュラーで、制作者制作年もはっきりしているのに、タイトルの意味が分からないとは!

「Marga」「Pati」という二つの単語で構成されていることは確かなようだが、諸説出てきたので、まとめてみる。

「Marga」
 a.バリ語又はカウィ語「memargi」すなわちインドネシア語「jalan」、「歩く」という意味
 b.バリ語又はカウィ語「mrga」「mrega」すなわちインドネシア語「binatang」、「動物」という意味

「Pati」
 c.バリ語又はカウィ語「pati」すなわちインドネシア語「mati」、「死ぬ」という意味
 d.バリ語又はカウィ語「pati」すなわちインドネシア語「raja」、「王」という意味
 e.バリ語又はカウィ語「pati」すなわちインドネシア語「nyawa」、「人生(生)」という意味

特に気になったのは、c.の「patiはmati、死の意味だ」というもの。
ネット上でMargapatiを検索すると、上位にあがるサイトでこの解釈が記載されているのだが、知人2人はそれは違うと即座に否定したので、おそらく誤りだと思われる。

実は、私が知り得た組み合わせは、[a.c.][a.e.][b.d.]の3つで、全ての組み合わせが見られたわけではない。
この中で、まずc.は誤りとして除外。
残りは、[a.e.](人生の道、人生を行く)、[b.d.](動物の王)の2つになる。

マルガパティが「森の王」の踊りであることから考えれば、最適なのは [b.d.](動物の王)だ。

しかし、比喩として『「森の王のように」堂々と[a.e.](人生の道、人生を行く)を行く者』と考えるなら、ないとも言い切れない。
[a.e.]の解釈を示してくれたのは多少ダランの知識を持っている人なので、無根拠に言っているわけでもないだろう。

さらに、古典文学の特徴であるダブルミーニングで、実は両方の意味がかけてあるという可能性もある。

私が今回、辿り着けたのは、ここまで。
誰か、真相を教えてください。


ところで「pati=mati」説だが、バリ語カウィ語を知らない人が記事を書いたのだろうけれど、このような誤謬が流布することに危惧を覚える。
バリに限らず芸能のような文字資料の少ない文化について、ネット上に「文字」で確定的に情報があがってしまうと、それが読者の記憶を上書きしていってしまう。
芸能のような曖昧模糊とした事象、曖昧なだけに莫大な広がりと情報量を畳み込んだ事象は、簡単に理解することができない。
しかし、人間は物事を簡単に理解することが好きだ。
(そもそも言語化の始まりである名付けからして、切り取って単純なタグを付ける行為なわけで、人間の脳は複雑な事象を単純化することで整理するようにできている)
簡単に受け取れて流布しやすい情報が誤っていると、誤った情報が社会的に上書きされていき、やがて、真実は塗りつぶされて見えなくなってしまう。
バリ芸能の特に古典に関して、ネット以外の場も含めて、すでにこういう上書き現象はたくさん起こっている。
それは文化の代謝でもあるので、完全にとどめることはできないが、それを助長したくはないし、危機感をもって歴史の掘り起こしと保存に取り組まなくてはならないと思う。



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